前回予告したとおり、気分の悪かったことから書くことにします。
皆さんがもしもイタリアに行ったときに、騙される事がなく慎重に買い物をする一助に、この文章がなれば幸いです。
4/16-4/18まで、ピエモンテに滞在しました。ピエモンテは行かなければならないワイナリーが最も集中している州で、3日とかだと全然足りないのですが、春はヴィニータリーなどの催しに日数を取られるのでいたしかたない部分もあり・・・。
で、18日の17:30頃、次の造り手には18:00に行くと伝えてあったので、30分ほど余裕のあった僕とサノヨーコはレーヴィの蒸留所に行ってみることにしました。
このブログでは説明してなかったかもしれないので、一応ご説明を。ロマーノ・レーヴィの死後、残されたお姉さんリディアは相変わらずの容態で、判断能力に欠けるということで、様々な人たちによって話し合いがなされました。そして、彼女の存命中は蒸留所をネイヴェの町の管理下で稼動させることを決め、彼女の死後、ロマーノの遺志通り、彼の家兼蒸留所をグラッパ博物館とすることになったようです。
で、話を戻しまして・・・今まで通りだったら、時間的にもう閉まっているのは知っていたのですが、やはり閉まってました。ま、いいかと、次の造り手の所に行こうかと一瞬思ったのですが、近くに何十回も前を通っているのに行ったことのない酒屋さんがあるのを思い出し、行ってみることに。
入ってみたら、レーヴィの晩年を一番近しいポジションでフォローしていた、そして死後も蒸留所に残った2人のうちの1人であるM氏がいるではありませんか。挨拶して、近況などをひとしきり話しをし、僕が次の日にはピエモンテを発つと言うと、彼の携帯の番号が書いてある名刺をもらい、”今度ピエモンテに来る時は是非連絡をくれ”と言う。そして酒屋の店主には、”俺の友達だから何かワインでもご馳走してやってくれ”と言い残して出て行った。なんとその店主、自分のワイナリーを持っているらしく、彼の造ったかなりきついロエロアルネイスをご馳走になりながら店内の物色を始める僕達。ワインは全くといっていいほど面白いものがなく、地元だしレーヴィのグラッパでもと探してみると灯台下暗し、自分達の真後ろにボトルがわんさとあるではないですか!!比較的大きな道路に面したこの酒屋は、ガラス張りで外からも店の品揃えの8割以上が確認できるくらいで、レーヴィのボトルがあったのは、外からは死角になる、入り口脇にある棚のなかでした。今考えてみても奇妙なくらい目立たない場所に置いてあったわけで、そこにはこんな感じの、
普段使っているボトルがビン屋さん(変な言葉!)で品切れしていたとき、何でもいいやとばかりにいろいろなボトルを買って、詰めてた時期があったのですが、今回紹介しているボトルのよりも遥かに可愛いラベルのものがまず目に入ってきたんですけど、よくよく見てみれば下の段にはボトリング時期が1980年代から1990年代の(ラベル左脇にあるサインと一緒に書かれている数字がボトリングした年になります)、画集とかで見るようなフレーズの書いてあるオールドボトルが!!!!
”Grappa distillata da Ignari(無知な男どもによって蒸留されたグラッパ)”とか、
”Grappa delle vigne di Angelo Gaja(アンジェロ・ガヤの畑のグラッパ)”などいろいろある・・・。
値段もオールドボトルであることを考えたら破格ともいえる額でした(120-150ユーロ)。
どれを買おうかと本気で迷う僕とサノヨーコ・・・とその時、不思議なボトルを2本発見しました。
淡い茶色のグラッパが入っていて、ラベルには一方は
”Grappa di una Donna Selvatica con erba Assenzio”
(ニガヨモギ入り、ドンナセルヴァーティカのグラッパ)
もう一方は、”Grappa di una Donna Selvatica con erbe Ruta e Menta”
(ルータとミント入り、ドンナセルヴァーティカのグラッパ)
と書いてあり、そしてどんなに良く見てもビンの中にはハーブが入っていない・・・。
何千本とレーヴィのグラッパは見てきましたが、ハーブ入りと書いてあってハーブの入ってないグラッパは見た事がありませんでしたので、頭の中は??だらけでした。そんな時店主が、僕達がただ迷っているだけだと思ったんでしょう、こう話しかけてきました、”そこにある古いボトルは正真正銘のレーヴィのオールドボトルさ、なぜならさっきまでここにいたM(前述の)から買った物なんだから!!!”。ここで僕の脳内エンジンがブイーーンと回転し始めまして、しばらく後に出した結論は、
限りなく本物に近いフェイク、というものでした。
どういった内容かというと、
ボトル 実際に消費され、空きびんとなったものを回収したもの
グラッパ 恐らく本物のレーヴィのグラッパで、近年蒸留されたもの
Taxシール
と写真を載せてみました。いちばん左が2007年頃から使われるようになったもの、真ん中がその前に使われていたもので右がさらにその前のものです。
今回見つけた80年代後半、90年代前半のボトルには右のような赤いシールが使われていましたが、2000年代前半のボトルには左のシールが使われていました。僕がレーヴィのグラッパを分けてもらっている、パルマの怪人オッターヴィオがまだレーヴィが生きていた当時、地下倉庫を整理していたらダンボール1箱分の赤のシール数千枚が出てきたって言ってたことも思い出しました。より整合性を持たせるためにボトリング年が古いものには赤いのを、比較的新しいものには最近ので間に合わせたのではないでしょうか。
詰めるべきグラッパもTAXシールもあるところなんて1ヶ所しかないですよね?
店主が堂々とM氏から買ったと公言しているわけで、その中に明らかにおかしなボトルがある・・・。
なんだか犯罪現場に出くわしてしまった気分で、非常に後味悪く店を後にしました。
これって犯罪に当たるのでしょうか?
どんなに控えめに言ったところで消費者を欺く行為ですし、レーヴィの名さえも汚す行為だと思います。以前日本でも、某有名焼酎の偽物が出回ったことがありましたが、焼酎の造り手と何のゆかりもない人のやったことなのに対し、この件の場合、レーヴィを良く知る人間がやっているというのも非常に残念と言うかなんというか・・・、言葉もありません。
レーヴィ本人がリサイクル的に、古いボトルにグラッパを、個人消費することを条件に詰めてくれたというのなら、許されるような気がするのですが今回の場合は全然意味合いも違いますし。
実はこの話にはまだ続きがあります。次の日、エミリアロマーニャに移動しまして、夕食に造り手が連れて行ってくれたレストランのオーナーがレーヴィの蒸留所を訪ねた時に、手描きラベルの空きビンがあったら、持って来てくれれば格安でグラッパを分けてくれるし、そのビンを買い取ってもいいと言われたらしく・・・。
サノヨーコいわく、酒屋で会った時のM氏の対応は、いかにも僕にグラッパを売りたさそうだったようで、僕が買いたいといえば、恐らく普通にかなりの量を買えるでしょうし、オッターヴィオを通してよりははるかに安く入手できるので、皆さんにもお安く提供できるのですが、とてもとても付き合う気になれません。
さらに他の人から話を聞くに、M氏ともう1人残ったF君、彼らが描いた手描きラベルでも売ってるというじゃありませんか!レーヴィの生前から彼らが描いていた事もあるという噂は聞いていたのですが、それがレーヴィの承諾のもとだったらレーヴィの名前で売ることはまだ許される気はするのですが、彼の死後にも描き続けるって・・・。
もう呆れてものも言えません。
今後もヴィナイオータには少量ずつですが、レーヴィのグラッパ(手描きラベル、プリントラベルとも)が入荷してきますが、それは全てレーヴィの生前にボトリングされたものであることを皆さんにお約束いたします。
で、今回のこの酒屋さんですが、レーヴィの家と同じ通り沿い(via ⅹⅹ Settembre)にある、Fというお店です。
皆さんも、イタリアで思いがけずレーヴィの古いボトルを見かけた時は注意してくださいね。