ひろみちゃんからの気合い注入を受け、幾つかのことを見直しました。
造り手達から見て、ヴィナイオータの仕事ぶりを推し量る唯一の手段が、ヴィナイオータが買う量であることは致し方がないとして、僕たち自身が、売れた、つまり売り上げがたったという数字的な結果だけに安住(安心)していてはいけないような気がしまして、最終的に飲まれ、喜ばれたという事実を目の当たり、もしくは耳にして初めて1ゴールを挙げたと考えるようにしようと心がけるようにしました!
インポーターという立場上、最終的な消費者である一般の方との接点は少ないですから、接点の生まれるワイン会などの機会には積極的に参加、そしてその際には一切の手加減のない内容で臨むことも心がけています。コスト面から内容を割り出すのではなく、想定される場の雰囲気、季節、ワインの状態、面白み、新着などのタイムリーさ、知っているお客さんが来ることが事前に分かっているのならその人を楽しませられるようなものを思い描きつつ選ぶようにしていて、コストは無理矢理収める(赤字上等!ってことです!!)ようにしています。驚きや楽しみ、そして笑顔のないワイン会なんてつまらないじゃないですか!!
それこそ音楽に例えるのなら、CDの売り上げ枚数ばかりを気にするのでなく、ライヴで全力を尽くし、聴衆を渦へと巻きこみ、圧倒し、その結果CDも自然に売れるていれば理想的なんだけどなぁ位のスタンスってところでしょうか。
直接の取引先である、酒販店さんや料飲店さん相手に同質の試みを行ったのが、件の”ほぼ毎週試飲会”です。ヴィナイオータの核となる造り手のワインは、お値段的に敷居が低いものではないので、比較試飲などの機会をお客様自身が作ることはちょっと難しい。だったら僕たちが企画しちゃおうと。
このブログ内でも書き散らかしていますが、畑、セラーでの仕事に謙虚さをもって醸されたワインは、色彩豊かな個性が生まれるのですが、そのヴィンテージごとの個性は、その年の天候・気象条件からだけ付与されるのではなく、造り手自身のその瞬間の考え、精神などからも影響を受ける・・・そんなことをお伝えするための企画でした。
小さなことですが、それまでは岸本に任せていた新着ワインの案内文も自分で書くようにしました!
造り手と一番接触しているわけですし、入ってくるワインもすでに樽からビンからいろいろな形で経験しているわけですから僕が書いたほうがいいに決まっているわけで…怠惰を恥じている次第でございます。
そして当分は、よほどのことがない限り(よほどのことも時々あるんです!)取扱いの造り手を増やさず、現取扱い造り手に集中することに!
先にも書いたように、幾つかのワインを、1年に仕入れる本数を1年で売り切れる(そして大部分を飲んで頂ける)ようにすることが当面の目標です。
ただ単に買う量を減らせばいいんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
が、それはヴィナイオータの選択肢にありません。
問題なく売れる本数を入れてきて、右から左に・・・などという仕事でしたらヴィナイオータがやる必要もないですし、造り手が常にリスクを冒し、魂を込めて造っているものなわけですから、それを扱うヴィナイオータも、彼らと少しでもテンションを同調させるためにも自分たちの限界に挑戦したい!
さらに言うなら、仕入本数を減らして、”レア感”みたいなものも演出しつつ売り逃れるのが最も簡単な方法な気がするのですが、それではクオリティ(中身)で勝負したことになりませんよね。中身に自信と確信があればこそ、勝負したくもなるではありませんか。
目安としてですが、僕みたいな買い手が10人いれば、もしくは10人いなくとも造り手的に安泰というか、販売のことに気を取られず畑&セラーでの仕事に集中できる・・・というところを目標としています。
年2回イタリアに行くという話をすると、”買い付けですか?”と聞かれることがあるのですが、この買い付けという言葉が僕ほど似合わないインポーターはいないのではないでしょうか?ヴィナイオータの側から、とある年のワインを”買わない”とか”買う本数を減らす”というオプションは存在しませんので、そのためにイタリアに行く必要は全くなかったりします。僕と一緒に造り手を周ったことのある方なら分かると思いますが、仕入に関する話はほとんどせず、帰り際に”じゃ、オーダーの件はメールするわ!”でおしまいですから・・・。それよりもむしろ年2回しか会えない彼らと共有する時間を大切にしていて、そんな僕たちの間にあるもの(共通の興味の対象)がワインで、せっかくワイナリーにいるのだからセラー行って樽から飲もっかくらいな感じで・・・ゆるいんです僕たち。
仮に造り手が平均的な年に100を生産していたとして、僕が10を買うとします。
生産量が80だった年に造り手が8しか用意できないと言うのでしたら8を買いますし、10用意してくれるというのなら10を買います。
生産量が50だった年で、そのヴィンテージに対する世間的なイメージが悪かったとして、僕以外の人に30ないし35しか売れなかったと聞けば、残っている15-20くらいもらっちゃうこともあります。
うまく説明できないですが、生産量の1割を保証するのではなく、最低でも10は買うことを造り手に保証できるインポーターでありたくて、とある年に調子に乗って10を買ってみたものの、売れなかったから次の年には5しか買わないというような仕事は絶対にしたくないのです!!
別の例を挙げると、只今絶賛好評発売中のカミッロ ドナーティの微微々微々発泡ランブルスコ2009ですが、イタリアは国内はもちろんのこと、諸外国のインポーターも全く買ってくれないそうで、ワイナリーに在庫がまだ12000本あり(加えて2400本は日本へ向けて海をゆらゆら・・・)、それらは全てヴィナイオータが引き取ることになっています。自然派ワインを扱っています!を謳い文句に、カミッロのワインを扱っている他の国のインポーターが泡が出なかったランブルスコを買わないだなんて・・・僕からしたら信じられないですし、もったいない話とさえ思ってしまいます。僕などは、泡のない(少ない?)ランブルスコだなんて天から新しいネタを頂いたくらいに思っちゃいましたし。畑でとセラーで、自然という巨大にして不可視なほど小さなものを相手に仕事をするわけですから、常にこちらの都合通りに行くわけもなく、その不測の事態が起こったことを驚きとともに人に語ることこそが、こういったワインを扱う人間の使命なのではないでしょうか。
造り手はヴィナイオータにとって家族(運命共同体!)であり、家族とは守り、維持し続けるべきものですから、継続性と数を保証できるということは非常に大事なことだと考えています。
こんなことを考えていたら、イチローが打率ではなくヒットの数に重きを置く気持ちが少々理解できた気がしました・・・。
数をコンスタントに買うという行為を維持するためには、その数を飲んで頂ける状況を創出しなければいけないわけで、どうやったら飲んでもらえるか?を常にイメージしながら仕事していこうと。
コンスタントであることが、別の意味でも重要だということを知っていただけるような別のお話を。
弊社の取扱いワイナリーにMV(仮名)という造り手がいます。
そりゃもうとんでもなく楽し美味しいワインで、できるだけ沢山の方に体験していただきたいし、僕も個人的に彼らのワインが時間とともにどのような変貌を遂げるのかを知るたいからできるだけ沢山取って置きたいはで、ヴィナイオータに分けてくれるドMaxの量を買うようにしているのですが、生産量が比較的安定した年のものがリリースされたのが今から6、5、4年前。生産量30-40あった年が3年続いた某Bというワインは各年15-16位を買い、売り切れたのはつい去年・・・つまり3年分を売るのに5年かかりました。一方生産量の少なかった07(BとAというワインがリリースされまして、Bは10、Aは20ほど生産され、日本にはそれぞれ3&7程度入ってきました)や20しか生産されなかった09(日本には4入荷、ちなみに08に至っては生産量ゼロ!です)などは入ったと同時に瞬殺・・・。少量しか入らなかったこれらのワイン、瞬殺していただけてもちろんうれしいのですが、少量とはいえ相変わらず生産量の2‐3割に当たる量だったりするわけです。つまり、毎年コンスタントにとある割合を買っていて、その買い手が熱狂的なファンであることも造り手本人が知っているからこそ、少ない年でもいつも通りの割合のワインを確保してくれるわけです。
Bに対して、某Qというワインがあるのですが、通常の年ですと生産量40程度のワインで、このワイナリーのワインの中で一番価格的にも上ですが、それは造り手がワイナリーのトップキュベと認識しているからなわけで、それなら至極当然と思われ・・・。このワイン、毎年生産量の1/4位を買っていて、6、5年前に買ったものがようやく先日終わりました・・・。・・・ということはつまり、弊社倉庫にはあと4ヴィンテージ分が眠っているということになり・・・(鳥肌)。会社的にはクレイジーとも言えますが、、このワインだけ売れる量が少ないから生産量の1割程度にしてくれって造り手にお願いするのも変な話ですよね?
世間一般では大人気で入手困難などと思われているMVですが、そのMVでさえまだまだできてないことだらけなのです!!(ちなみにできていないのはMVでなくヴィナイオータです!)
4ヴィンテージが眠っていると書きましたが、今リリースされているのは1ヴィンテージのみ・・・これも最近のヴィナイオータが採用し始めたことの1つになります。当初は複数ヴィンテージがオンリストしていたら、選ぶ楽しみ、比べる楽しみがあって面白いのでは?と思っていたのですが、複数ヴィンテージが載っていることで、一つ一つのワインに焦点のあった光が当たらないのでは?と思うようになりました。いつでもあるものと思われてしまうという危険性もあることに気が付きまして、今後は前ヴィンテージないし、幾つかの古いヴィンテージがなくならない限り、新しいヴィンテージをオンリストしないようにすることに。
MVのQの場合、新ヴィンテージをリリースしようとした時に3ヴィンテージが倉庫にあったのですが、僕的に06が現段階で開いていて、一番表現力があると判断して、05よりも先にリリースさせることにしました。
ヴェローナでワインの見本市、ヴィニータリーのある時期は、24歳の時から16年連続で彼の地にいたのですが、今年は公私両方の都合により、時期をずらしてイタリアに行きました。私的な用事は、愛息の入学式(こういったイベントに参加したことが一度もない子供不孝な父でした・・・)、公のほうは、先に書いたように当面新規の造り手をやる意思がないわけですから、サロンに行く必要がないと判断したためです。
たっくさんの造り手から、僕の存在、笑い声等が会場に足りなかった(なくて寂しかった)という言葉をかけてもらい、僕自身も一抹の寂しさみたいなものも感じてしまったのですが、さらに一歩前に進むためには必要なことだったと思っています。
何年もサロンに通っていると、取引のない造り手とも友達のような関係になり、彼らのワインを試飲しに行くとウェルカムな雰囲気とともに試飲させてくれるですが、その造り手がインポーターを探しているらしいという話を別のところでうちの造り手達から聞いたりすると非常に複雑な気持ちになっちゃうのです。友達になれば情も湧きますし、何年も続けて試飲しているわけですから、その造り手達もうちの造り手達同様に進化していて、ワインもどんどん面白いものになっているのは分かるのですが、大御所と認識されているかもしれないうちの造り手たちのワインでさえ買っている量を捌くのに苦労しているヴィナイオータがいて・・・。うちの造り手、そしてその造り手から話を聞く他の造り手達からしてみたら、10を毎年買っているヴィナイオータは凄い!と映るかもしれませんが、僕たちが日本では6とか7、ものによってはそれ以下しか動かせていないものもあったりして・・・お互いの認識の齟齬が心苦しいというか、説明に困るというか・・・。毎年あの心苦しさを味わうのが嫌になったというのも、サロンに行かないことを決めた理由のひとつかもしれません。
取引を決める=家族を増やす と考えるようになった今、安請け合いはしたくないのです。
心苦しさを感じることなく、堂々とサロンに顔を出し、ワインを飲んでおおっ!!と思ったらすぐに取引を開始できるようになるためにはどうすれば良いか?
答えはまた同じところに行きつくのです!
これからどんどん現われるであろう(そう信じたい!)若く、意欲のある、そして無名な造り手を最大限フォローできる態勢になるためには、うちの造り手レベル(圧倒的な個性&クオリティ、日本というマーケットに登場してからの年数とそれによって獲得したであろうプロダクトに対するイメージのあるもの、という意味です)で手をこまねいているわけにはいかないのです!
そんな造り手達、そしてそれを扱うことになるかもしれない若いインポーターたちの為にも道を造るんだ!という気概でバリバリやっていこうかと。
かつて
自由なワイン宣言に書いたように、自然環境やテロワール、ブドウ、その年どしの個性を反映したワインを造れるのは、良心ある造り手だけだと僕は考えていて、その彼らの良心を改めて証明するものとなったのが、去年震災直後にヴィナイオータが行った義捐ワインプロジェクトだったのだと思います。
それが目的ではなかったとはいえ、このプロジェクトでヴィナイオータ&ヴィナイオータの造り手達を認識し、取引の始まったお客様も多く、現在でも良好な取引をさせていただいております。
そして良心、想い、熱みたいなものが更に爆発したのがヴィナイオッティマーナで、長ったらしく書いてきました決意表明の熱と同質の気合(気愛)みたいなものは感じていただけるイベントだったのかと。
熱を込めてやればやるほど、伝わっていることを、そして結果も伴うことを実感した1年半でしたし、その間にお会いしたとある作家の方からも、ヴィナイオータの仕事は名作家につく名編集のようなものだというような非常にありがたいお言葉を、先日もとあるお客様からワインのセレクトに矜持を感じるというご意見を頂くにつけ、造り手やひろみちゃんのようなアーティストに対して羨望というか、前の記事では諦めと表現したような気持ちを持つ必要がないと思うに至ったわけです。
卑下の境地から抜けた僕に待っているもの・・・当然のことながらですが、更に大きなプレッシャーを自らに課すこと、表現すること、熱を込めること、伝えることを諦めないこと等など・・・危機感と飢餓感が凄く強くなったのを実感している今日この頃です。
ゴッホの生前には、絵画が1枚しか売れなかったなどという話もありますが、現在では自分の作品が大変評価され、信じられないような価格で取引されているという現実を、天国から(あるとすれば、ですが)彼はどのような思いで見つめているのでしょう?
僕はゴッホのような造り手をヴィナイオータからは一人も出したくない、つまり彼らの生前に正当な評価を、言い換えるなら、その価値価格に見合うということを世間(日本で)に認知していただけるようにすることこそ僕のミッションだと考えています。
本当にありがたいことなのですが、決して楽ではないこのご時世にむしろ激しく加速し始めてしまったヴィナイオータ、そのスピードに自らがついていけなくなっているのが現在の状況だったります。
そんな状況でも、僕はちゃんと寝ないと仕事にならない子だったりして・・・・・・・・・。
で、次回ようやく本題に入れそうです。
ですが、僕は一度離脱させていただきまして、ひろみ師匠からパワーを頂きに行って参ります!
数時間後にはさらに熱苦しい男になっていることでしょう!!!